推し活は、何者でもない自分としての居場所ができる
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推し活は、何者でもない自分としての居場所ができる
江戸時代にもあった、違う自分でいられる場所
何者でもない自分でいられること。それがウェルビーイングを高めるひとつ。さらに、そんな自分でいられる場所があるとよいそうです。推し活は、いつもとは違う、何者でもない自分でいられるひとつの場所だと言えます。
「江戸時代には【連(れん)】というものがありました。現代で言うサークルのようなもので、絵画や俳諧(のちの俳句)、狂歌(和歌の形式に、社会風刺や皮肉などを盛り込んだもの)などを楽しむ連が、いくつもあったそうです。中には、ただお酒を飲むだけの“飲み会”のような連もあったとか。また、それぞれの連には、本名とは別の名前で参加するという条件があったそうです。別の名前というのは、いわゆるニックネームやペンネームのようなもので、【号(ごう)】と呼ばれていました。江戸時代の人々は複数の号を持って、いくつもの連を渡り歩き人生を楽しんだそうです。現代でも、同じように複数のコミュニティに、いつもとは違う自分で参加することがウェルビーイングにつながると言えるでしょう」
推し活の中だけでも、いくつものコミュニティがある人もいます。コンサートやイベントにともに参加するコミュニティもありますし、推しを語ることを楽しむコミュニティもあります。推し活は、何者でもない自分で過ごせる場所を、多く持つことができると言えます。
現代社会は、子どもも大人も居場所がない!?
「実は、日本の子どもはウェルビーイングが低いと言われています。学力や健康といった客観的ウェルビーイングは高いのですが、主観的ウェルビーイングは圧倒的に低い。その理由は、彼らが居場所がないと感じているからだと考えられます。例えば『あなたにとって家はどんな場所か』と聞くと『宿題をするところ』というような答えが返ってきます。常に何者かであれと求められているような気がして、家庭や学校、習い事など、心地よく過ごせる場所がないと感じているのでしょう」
子どもだけでなく、もちろん大人も居場所がなくなることでウェルビーイングが低くなることがあります。
「主に男性に起こりやすい“定年クライシス”。会社だけが自分の居場所だという人は、定年すると生きる意欲がなくなったり、イライラしたり不安を感じることが多くなります。誰にとっても居心地のいい場所はやはり大切です」
推し活をしていない筆者にとって、何者でもない自分でいられる場所は、フィットネスジムかもしれません。1年以上通って仲間もできました。それぞれ自分の仕事や家族について詳しく話すことはありませんが、私を含め、みんなが心地よく過ごせていると感じます。ジムのほか、趣味のサークルやスクールなどが、何者でもない自分として過ごせる居場所になるように思います。
「もうひとつ、秘密を持つのもいい方法です。ある有名な女性小説家が、誰にも知られないようペンネームを使ってケータイ小説を書いていたそうです。彼女はそのときを振り返って『秘密を持つと毎日ワクワクする』と言っていたとか。秘密を持つことは、何者でもない自分としての居場所を作れるということです」
推しと出会い、「彼らのように踊りたい!」との思いからダンススクールに通うようになったちーこ(本誌53号「私の運動時間」その1)。何者でもない自分でいられる居場所が、いくつもあります。
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趣味のサークルやスクールなどに通ってみる。
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秘密を持つのもいい方法。