大好きなアイドルや俳優、キャラクターなど、“推し(おし)”を応援する活動、推し活。ある家電メーカーの調査によると、約5人にひとりがやっているのだとか。推し活をしている人たちは、楽しそうで、元気。イキイキとしています。そこに健康に生きるヒントがあるのではないか? と、fufufu編集部では、本特集を企画。取材を進めると、推し活には、単に健康という言葉を超えたウェルビーイング(よい状態)につながる力があるとわかったのです。推し活になぜ、そんな効果があるのでしょうか。それを知れば、よりよく生きる方法が見つかるかもしれません。
読了時間:12分
あの人がイキイキしているワケ
病気があったとしても心身がよい状態であること
「この人、イキイキしているなぁ~」。友人や知人の推し活の話を聞くたび、うっとりとそう思う筆者。推しの魅力や、コンサートや作品の素晴らしさ。そういった話はもちろん、推し活によって、“今の私”がとても充実しているんだ! と熱心に語る姿に、こちらも胸が高鳴ってしまいます。
本誌連載『私の運動時間』に登場した、おかぴぃ、ちーこ、ちーに会ったときも同じ感覚がありました。推しとの出会いをきっかけに、ちーこはダンスを始めました。ちーは、推し活が筋トレのモチベーションになり、おかぴぃは、大病を経験しながら心身ともに元気です。推し活は、きっと心と身体を健康にするのだろうと考え、本誌編集部はリサーチを開始。その中で予防医学研究者の石川善樹先生にお話をうかがうと、推し活は、心身の健康だけでなく【ウェルビーイング】につながるとのこと。ウェルビーイングとは、直訳すると“よい状態”という意味です。
「その言葉が日本で使われ始めたのは数年前。新しい言葉のようですが、実は昔からあったものです。今から76年前の1948年に、WHO(世界保健機関)は憲章前文に[健康とは、単に疾病がない状態ではなく、肉体的・精神的・社会的にウェルビーイング(よい状態)である]と定義しています。単に病気や障害がないということではなく、それがあったとしても心と身体、そして社会的なつながりがよい状態であれば、健康だということ。ウェルビーイングは、心身の健康や幸せを超えたところにあるものなのです」
自分がよいと思えば、それがウェルビーイング
石川先生によると、ウェルビーイングは、70年以上前と比べ、少し変化してきているそうです。
「ウェルビーイングには、大きく【客観的ウェルビーイング】と【主観的ウェルビーイング】があります。学歴や収入や資産など、数値的基準によって測れるものが客観的ウェルビーイング。対して主観的ウェルビーイングは、自分自身の認識や感覚によって見えてくるものです。基準があるものではないので、自分がよい状態だと思えば、ウェルビーイング。実に多様で、必ずしも学歴や年収、資産などが関係するわけではありません。これからの時代は、この主観的ウェルビーイングを高めることが重要とされています」
先生によると、[満足]と[幸福]のふたつがそろえば、おおむねウェルビーイングだと考えられているのだそうです。満ち足りていて、幸せ。推し活をしている友人・知人の“イキイキ”は、ウェルビーイングなのだろうと筆者は思いました。推し活が、ウェルビーイングにつながる理由。それがわかると、あなたのウェルビーイングのヒントになるかもしれません。
推し活は、いつもとは違う何者でもない自分になれる
何者かであれ。その圧から解放されるほうがいい
筆者の知る推し活をする人たちは、ほとんどが女性です。彼女たちは、妻であり、母親であり、娘であり、職業を持ち会社などの組織に属する人です。でも、推し活の話をする彼女たちは、そのどれからも切り離された、全く別の顔になっているな、と感じます。
「人はその立場によってさまざまな役割を担っているわけですが、推し活はそれらとは違う“何者でもない自分”になれると言えます。ウェルビーイングには、これも大切な要素です」
“何者でもない”ことがいいの? と筆者は思ってしまいましたが、日本でウェルビーイングが重要だと考えられるようになったのは、常に何者かであれ、と言われ続けているからではないか、と先生は言います。
「女性であれば、妻、母親、娘として、さらには職業人として、こうあるべき。そんな考え方が世の中にあふれているように思います。その中で、それぞれの役割を完璧にこなそうとするあまり心身を疲弊させ、ストレス状態に陥ってしまう人も多くいます。そういった状態に【スーパーウーマン症候群】と名前がついているほどです。女性だけでなく男性も、そのように首尾一貫性を求められます。男女とも、仕事もプライベートもきちんとしていることがよしとされる。それは実はとても息苦しいことです。江戸時代の武士は、お城にいるときは真摯に殿様に仕えますが、お城を出たら殿様の悪口をどれだけ言ってもまったく非難されませんでした。仕事はバリバリこなすけれど、家事は全然手抜き、という人のほうがウェルビーイングは高い。何者かである自分だけでなく、何者でもない自分がいてもいい。推し活をしている人は、首尾一貫性にとらわれない、軽やかさがあると言えます」
自己表現の方法にバリエーションを持とう
推し活は、いつもの役割とは無関係。違う自分になれるからこそ、その時間を楽しめるのでしょう。
「自分を人にどう表現するか。『〇〇の家内です』『〇〇の母です』など、自分が何者であるかを口にする回数が多いものほど、自分自身が“その者”になっていきます。例えば子どもに『ママはね……』『ママが……』と言う回数が多ければ、その人の中でママである自分が大きくなっていくわけです。何者でもない自分に近づくには、自己表現にバリエーションを増やすといいでしょう。それにはいつもの行動範囲から外れてみるのがいいかもしれません。知らない街、知らない人しかいない場所へ行ってみる。そうすると、結婚しているのか、子どもがいるのか、どんな仕事をしているのか話さなくてもよくなるはずです。そこで出会った人への最初の自己表現は、きっと『〇〇から来た』くらいなもの。何者でもありません。初めての土地を旅したり、初めてのカフェに入ったりすることでも、何者でもない自分になれるでしょう」
筆者は、今推し活をしていませんが、ひとりで知らない場所に行くことは大好き。確かにそこで出会った人たちには、自分の名前を言うことも、名前を聞くこともありません。それでもとても楽しい時間を過ごせます。それは、何者でもない自分でいられるからなのかもしれません。
おかぴぃの場合
(50代)
大病の治療を終え、運動と推し活を再開したおかぴぃ(本誌55号「私の運動時間」その3)。妻、母親、会社員としての役割がありますが、推し活中は、そのどれとも違う“何者でもない自分”に。
何者でもない自分になる方法
- いつもの行動範囲から外れてみる。
- 旅行をしたり、知らないお店などに行ってみる。
推し活は、何者でもない自分としての居場所ができる
江戸時代にもあった、違う自分でいられる場所
何者でもない自分でいられること。それがウェルビーイングを高めるひとつ。さらに、そんな自分でいられる場所があるとよいそうです。推し活は、いつもとは違う、何者でもない自分でいられるひとつの場所だと言えます。
「江戸時代には【連(れん)】というものがありました。現代で言うサークルのようなもので、絵画や俳諧(のちの俳句)、狂歌(和歌の形式に、社会風刺や皮肉などを盛り込んだもの)などを楽しむ連が、いくつもあったそうです。中には、ただお酒を飲むだけの“飲み会”のような連もあったとか。また、それぞれの連には、本名とは別の名前で参加するという条件があったそうです。別の名前というのは、いわゆるニックネームやペンネームのようなもので、【号(ごう)】と呼ばれていました。江戸時代の人々は複数の号を持って、いくつもの連を渡り歩き人生を楽しんだそうです。現代でも、同じように複数のコミュニティに、いつもとは違う自分で参加することがウェルビーイングにつながると言えるでしょう」
推し活の中だけでも、いくつものコミュニティがある人もいます。コンサートやイベントにともに参加するコミュニティもありますし、推しを語ることを楽しむコミュニティもあります。推し活は、何者でもない自分で過ごせる場所を、多く持つことができると言えます。
現代社会は、子どもも大人も居場所がない!?
「実は、日本の子どもはウェルビーイングが低いと言われています。学力や健康といった客観的ウェルビーイングは高いのですが、主観的ウェルビーイングは圧倒的に低い。その理由は、彼らが居場所がないと感じているからだと考えられます。例えば『あなたにとって家はどんな場所か』と聞くと『宿題をするところ』というような答えが返ってきます。常に何者かであれと求められているような気がして、家庭や学校、習い事など、心地よく過ごせる場所がないと感じているのでしょう」
子どもだけでなく、もちろん大人も居場所がなくなることでウェルビーイングが低くなることがあります。
「主に男性に起こりやすい“定年クライシス”。会社だけが自分の居場所だという人は、定年すると生きる意欲がなくなったり、イライラしたり不安を感じることが多くなります。誰にとっても居心地のいい場所はやはり大切です」
推し活をしていない筆者にとって、何者でもない自分でいられる場所は、フィットネスジムかもしれません。1年以上通って仲間もできました。それぞれ自分の仕事や家族について詳しく話すことはありませんが、私を含め、みんなが心地よく過ごせていると感じます。ジムのほか、趣味のサークルやスクールなどが、何者でもない自分として過ごせる居場所になるように思います。
「もうひとつ、秘密を持つのもいい方法です。ある有名な女性小説家が、誰にも知られないようペンネームを使ってケータイ小説を書いていたそうです。彼女はそのときを振り返って『秘密を持つと毎日ワクワクする』と言っていたとか。秘密を持つことは、何者でもない自分としての居場所を作れるということです」
ちーこの場合
(30代)
推しと出会い、「彼らのように踊りたい!」との思いからダンススクールに通うようになったちーこ(本誌53号「私の運動時間」その1)。何者でもない自分でいられる居場所が、いくつもあります。
何者でもない自分としての居場所を持つ方法
- 趣味のサークルやスクールなどに通ってみる。
- 秘密を持つのもいい方法。
推し活は、人生を展開させる。因果で考えず縁をつないでいく
ある縁がまた別の縁に。どんどん人生が展開する
昨年、推し活をする女性を主人公にした、ドラマ仕立てのCMが話題になりました。主人公の女性は、たまたまテレビで見たK-POPアイドルに一目ぼれし、推し活を開始。推しへの想いから韓国語を学び、それは仕事で役立つまでに上達します。そして今度はライブを見るために、韓国行きを決意。最初はそんな母親にあきれていた娘も、次第に変化していき……、というものです。これを見た推し活中の女性から、「わかる!」と共感の声が多く上がりました。推しとの出会いをきっかけに、次々と扉が開き、新たな世界へ飛び込んでいく。多くの人が、推し活でそんな体験をしているようです。
「推し活は、まさに因縁のようなものだと思います。因縁とは仏教から生まれた言葉。因は直接的な原因、縁はそれに関連する間接的な原因といった意味で、因と縁の相互作用によってさまざまな物事が生まれる、というような考え方です。たまたま出会ったアイドルを好きになり、何かしらの縁が生まれ、その先にまた別の縁がある。ぐんぐんと枝が分かれていくように人生が展開する。自分でコントロールできないからこそ、その展開を楽しいと感じられるのかもしれません。それはとてもウェルビーイングだと言えます」
因縁ではなく、“因果”で考えてしまうと、ウェルビーイングにつながらないこともあるそうです。
「何かの目的に対して、こうすれば実現できる、という風に原因と結果、つまり因果で考えて行動する人は多くいます。もちろんそれはビジネスには重要なこと。ただ、例えばいい給料を得たいという目的を持って、大企業に就職し満足のいく給料をもらえたとしても、ウェルビーイングにつながるかはわかりません。因果を辿っていく人生は先細りしやすくなります。ありたい未来を設定し、準備や段取りを徹底すると、安心安全は得られますが、なかなかその道から外れられなくなってしまいます。ウェルビーイングは因果だけで考えないほうがいいのではないか、と思います」
難があったとしても決して不幸ではない
因果だけで考えず、縁に導かれるように生きる人は、人生の中で起こるトラブルも楽しんでいるようだと先生は言います。
「昔、父から『難のある人生を歩め』と言われたことがあります。難のない[無難]な人生よりも、難のある[有難い]人生を歩めと。無難な人生は理想的だとも言えますが、難があることでつかみ取れるものもあります。だから難があることが有難い。縁に導かれて生きる人は、難を難とせず、有難いと捉えているんです。例えば、病気になったとしても、そこからより自分の身体を大切にしようと気づく人もいます。病気になった、収入が減った、だから不幸だ、ということではありません。どんな状況になってもウェルビーイングの道はあるんです」
今は元気に、楽しく生活している筆者ですが、やはり未来に不安はあります。ただ、先生の「どんな状況になってもウェルビーイングの道はある」という言葉で、心が少し軽くなったように感じました。推し活をしていない人も、結果にとらわれてしまう人も。先生のこの言葉をお守りに、新たな一歩を踏み出してみませんか?
ちーの場合
(50代)
推しのライブに参戦するため、さらに筋トレをがんばれるようになった、ちー(本誌57号「私の運動時間」その5)。娘と一緒に推し活を楽しむようになったり、友だちが増えたりと、縁が広がり続けています。
因果で考えず縁をつないでいく方法
- 「どんな状況でもウェルビーイングの道はある」。この言葉をお守りにする。
















