頼り、頼られる。その理想的なカタチ“コンヴィヴィアリティ”とは
読了時間:9分
頼り、頼られる。その理想的なカタチ“コンヴィヴィアリティ”とは
過剰な手助けは、相手の“人らしさ”を奪うことも。
誰かに頼ることは苦手でも、できるだけ、誰かを手助けしたいと思っている筆者。困った様子の人を見ると思わず声をかけてしまいます。その人の役に立てると、私自身も嬉しい。これが達成感や有能感を得られた喜びなのでしょう。ただ、時々声をかけるのを躊躇してしまうこともあります。もしかしたら自分の申し出が、相手にとっては余計なお世話になってしまうかもしれない。そんな心配から声をかけるのをためらってしまうのです。
「手助けをすることは、時にその人の自立性や創造性を奪ってしまうこともあります。今、テクノロジーの進化によって、便利なものがさまざまに作られていますが、それは本当に人を幸せにしているのか、という議論が各所で行われています。例えば、自動運転システム。かつて、移動の道具を持たなかった私たちは、歩くことしかできませんでした。やがて自転車や自動車が現れ、足でペダルを踏んだり、ハンドルを操作するなど人間の力を拡張させながら、長い距離を速く、快適に移動できるようになりました。最近登場した自動運転システム搭載の自動車は、人間が行っていたことをほぼ機械がやってくれます。便利ではありますが、人間は経験から得た運転技術を活かすことができません。それは、自動車に荷物として運ばれるような感覚かもしれません。また、現在食事をさせてくれるロボットの研究開発も進んでいます。手を上手く使えない人にとって、大切な支援機器となるはずですが、場合によってはロボットの采配で生きながらえているような気持ちになってしまうことも考えられます。機械と人間、もちろん人と人も、相手の自立性や創造性、そして“人らしさ”を奪わないことが望ましいと言えます」
目指したいのは、補い合う関係。
手を差し伸べたい。そんな想いでの行動には、相手の望みを尊重することが大切。さらに先生から、よりよい関係を築くためのヒントをお聞きしました。
「頼り、頼られる関係は、【コンヴィヴィアリティ(conviviality)】があることが理想と言えるかもしれません。コンヴィヴィアリティとは、〈わきあいあいと食事を楽しむような雰囲気〉を指す言葉で、〈自立共生的なかかわり〉などと訳されています。わかりやすい例でいえば、ハサミと私たちの関係。これはコンヴィヴィアリティだと言えます。ハサミだけでは何もできません。もちろん私たちの柔らかい手だけでも、紙や布を断ち切ることはできません。そんな私たちの手の柔らかさは言わば弱さですが、ハサミの鋼の硬さという強さを引き出し、同様にハサミの弱さは、柔らかいがゆえに自在に動く私たちの手の強みを引き出しています。その両者の協働があって初めて紙や布などを断ち切ることができるのです。このように、それぞれの弱さをそれぞれの強さで補い合う、“ゆるやかな依存関係”が理想だと言えます」
寛容さや共生を感じる
あるイベント型レストラン。
2017年から50か所以上で開かれている、イベント型のレストラン『注文をまちがえる料理店』。ホールスタッフの多くが認知症の人のため、注文や配膳を間違えてしまうことがありますが、お客さんはそれを受け入れて楽しんでいるのだそうです。通常のサービスであればよしとはされませんが、間違えるという弱さをさらけ出したことで、給仕するスタッフとお客さんが、それぞれの立場を超えて助け合う“ゆるやかな依存関係”が作られました。