視力の良し悪しだけではない!〝見える〟とは、どういうこと?
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視力の良し悪しだけではない!〝見える〟とは、どういうこと?
実は違っていた、〝視力〟と〝見る力〟
筆者の視力は、50代になってもさほど悪くなっていません。左右とも1.2以上あるので、よく見えていると思っていました。でも、驚いたことに、一般的に言われている視力は、本来の“見る力”とは違うのだそうです。
「視力検査は、アルファベットのCのような形をしたランドルト環を使い、その左右上下、どこが開いているか、わかる限界を測定しています。実は、それは瞬発力を測っているようなもの。切れ目がどこにあるか、ぼんやりとしか見えていなくても、その瞬間だけわかれば数値がよくなるのです。検査は、明るい部屋で動かないランドルト環を使って行いますが、実際に私たちがものを見るときはあたりが暗いこともありますし、ほとんどの場合、対象物も自分自身も動いています。検査よりはるかに難しい環境で、ものを見ているわけです。一般的に言う視力と、日常的にものを見る能力は同じではないのです」
ものを見るプロセスは脳に入ってからが本番
私たちは、見えるかどうかを視力で判断してしまうので、目だけで見ていると考えてしまいますが、そうではないということ。
「見るとは、認識することです。目を入り口として、対象物の色や形など入ってきた情報が脳に送られ、脳の中にある情報が引き出されて、それが何であるか認識して“見えた”ということになります。例えばテーブルの上に置かれたある物体の像を目で受け、“赤い”“立体的で丸い”“りんごという果物”という、脳がストックしている記憶や知識と照らし合わせて対象物を認識します。さらに『おいしそう』という感情が生まれたり『食べよう』という行動をとるといったことまで含め、見えているものに意味づけをすることで“ものを見る”作業が完結します。“見えた”状態にするには、脳に入ってからのプロセスが本番。目がものをとらえる仕組みは、フィルムカメラに例えることができます。レンズに当たる角膜と水晶体で、さまざまなものの色や形を光として集め、フィルムに当たる網膜で像として結ばれます。そして、視神経を通じてその像が脳に送られます。フィルム現像を行う場所に当たるのが、脳。そして、記憶や知識が取り出され、意味づけがなされてようやく“見えた”ことになるのです。」
見える仕組み
- 角膜と水晶体で光を集める
- 網膜で像として結ばれる
- 脳にその像が送られ、後頭葉視中枢でフィルム現像される
- 脳(前頭葉)に至るまでの間に記憶や知識がとり出され、前頭葉に至って、感情や行動など意味づけがなされて“見えた”ことになる
見る能力は、目と脳の連携プレーがあって成り立つもの。眼球に問題がない目の不調は、目と脳の連動システムに不具合が生じている可能性が高いのだそうです。
「脳の神経回路は複雑につながり合って、さまざまな情報を伝達し、人が生きるための【生体システム】を構築しています。視覚に関する回路も、そのシステムの一部です。ですから、そこに不具合が生じると、目の不調が現れることもあり得るのです」