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ほっこり癒しの時間

桜の名所、鶴ヶ城へ♪幕末ロマンに出逢う会津若松の旅(1/2)

掲載号 vol.12

Vol.6

記事内容

読了時間:9分

激動の時代に思いを馳せる。

福島県・会津若松。長い歴史を有するこの地には、現代に生きる私たちにとって幸せへのヒントがいっぱい。語り継がれる先人たちのエピソードや、かの時代から伝わる文化をたどってみましょう。まず最初に訪れたのは鶴ヶ城。会津藩主の居城であった鶴ヶ城は、慶応4年(1868年)に勃発した戊辰戦争で新政府軍の激しい砲火を浴びます。その際、銃や刀を携えて城に入ったとされるのが新島八重。NHK大河ドラマのヒロインとしても注目される幕末のハンサム・ウーマンです。武士の娘として、藩のために命をかけた八重。近年再建された天守閣は美しく、だからこそなお、当時それがどれほど人々の心のよりどころであったかが偲ばれます。会津の町を一望するその展望台に立つと、今にも八重の鼓動が聞こえてくるよう。エネルギッシュに生きた彼女のパワーを感じずにいられません。桜の名所でもある鶴ヶ城。満開の頃には、より一層の感動が胸に迫ることでしょう。

そして、鶴ヶ城の歴史を語る上で、もうひとつ忘れてはならないのが白虎隊の存在です。戊辰戦争に敗れ、飯盛山へと追われた白虎隊。そこから黒煙を上げる鶴ヶ城を目にし、皆がその場で自決します。隊を編成していたのは16、17歳の少年たちでした。歴史は悲劇とも無縁ではありません。しかし、それを受け止め、後世に伝えていくことも私たちの務め。飯盛山にある白虎隊十九士の墓では、そのことを胸に線香を手向けました。

会津の歴史とともにある町のシンボル。
鶴ヶ城

戊辰戦争をからくも耐え抜き、難攻不落の名城と称えられたものの新政府の命で解体。昭和40年に天守閣が再建され、2年前には屋根瓦も一般的な黒瓦からかつての城の象徴だった赤瓦に。幕末当時の姿が甦りました。
会津若松市追手町1-1 ☎0242-27-4005 営業時間/8:30~17:00(最終入館16:30)無休
料金/天守閣・茶室『麟閣』共通入場券¥500 交通/まちなか周遊バスハイカラさん「鶴ヶ城入り口」停下車すぐ

白虎隊が悲劇の最期を迎えた幕末の重要スポット。
飯盛山

幕府へ忠義を貫いた白虎隊の少年たちが自決した悲劇の地、飯盛山。
慰霊塔や石像は鶴ヶ城の方向に向かって建てられています。美しく再建された今の城を見たら、彼らは何を思うでしょう。
会津若松市一箕町八幡 ☎0242-39-1251(会津若松市観光課)
料金/入山無料 スロープコンベア¥250
交通/まちなか周遊バスあかべぇ「飯盛山」停下車すぐ

大河ドラマで大注目。今、会津では“新島八重”が熱い!

『大河ドラマ館』のオープンをはじめ、『八重の桜』放送を機に会津魂を胸に激動の時代を生き抜いた新島八重を称えるさまざまなプロジェクトが各所で進行中。八重やその家族に扮したキャラバン隊「ふくしま八重隊」など、県を挙げて多彩な企画で観光客をもてなしてくれます。また、マスコットキャラクター「八重たん」も登場。キュートな「八重たん」グッズはお土産にぴったり。出かける前にぜひチェックを。
八重のふるさと福島県公式サイト

新島八重とは!?

会津藩士・山本家に生を受ける。戊辰戦争では、男装しスペンサー銃を手に籠城戦に挑む。敗戦後、兄・覚馬を頼って京都へ移り、同志社創設者の新島襄と出会い結婚。日清・日露戦争では篤志看護婦として従軍。

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