推し活は、人生を展開させる。因果で考えず縁をつないでいく
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推し活は、人生を展開させる。因果で考えず縁をつないでいく
ある縁がまた別の縁に。どんどん人生が展開する
昨年、推し活をする女性を主人公にした、ドラマ仕立てのCMが話題になりました。主人公の女性は、たまたまテレビで見たK-POPアイドルに一目ぼれし、推し活を開始。推しへの想いから韓国語を学び、それは仕事で役立つまでに上達します。そして今度はライブを見るために、韓国行きを決意。最初はそんな母親にあきれていた娘も、次第に変化していき……、というものです。これを見た推し活中の女性から、「わかる!」と共感の声が多く上がりました。推しとの出会いをきっかけに、次々と扉が開き、新たな世界へ飛び込んでいく。多くの人が、推し活でそんな体験をしているようです。
「推し活は、まさに因縁のようなものだと思います。因縁とは仏教から生まれた言葉。因は直接的な原因、縁はそれに関連する間接的な原因といった意味で、因と縁の相互作用によってさまざまな物事が生まれる、というような考え方です。たまたま出会ったアイドルを好きになり、何かしらの縁が生まれ、その先にまた別の縁がある。ぐんぐんと枝が分かれていくように人生が展開する。自分でコントロールできないからこそ、その展開を楽しいと感じられるのかもしれません。それはとてもウェルビーイングだと言えます」
因縁ではなく、“因果”で考えてしまうと、ウェルビーイングにつながらないこともあるそうです。
「何かの目的に対して、こうすれば実現できる、という風に原因と結果、つまり因果で考えて行動する人は多くいます。もちろんそれはビジネスには重要なこと。ただ、例えばいい給料を得たいという目的を持って、大企業に就職し満足のいく給料をもらえたとしても、ウェルビーイングにつながるかはわかりません。因果を辿っていく人生は先細りしやすくなります。ありたい未来を設定し、準備や段取りを徹底すると、安心安全は得られますが、なかなかその道から外れられなくなってしまいます。ウェルビーイングは因果だけで考えないほうがいいのではないか、と思います」
難があったとしても決して不幸ではない
因果だけで考えず、縁に導かれるように生きる人は、人生の中で起こるトラブルも楽しんでいるようだと先生は言います。
「昔、父から『難のある人生を歩め』と言われたことがあります。難のない[無難]な人生よりも、難のある[有難い]人生を歩めと。無難な人生は理想的だとも言えますが、難があることでつかみ取れるものもあります。だから難があることが有難い。縁に導かれて生きる人は、難を難とせず、有難いと捉えているんです。例えば、病気になったとしても、そこからより自分の身体を大切にしようと気づく人もいます。病気になった、収入が減った、だから不幸だ、ということではありません。どんな状況になってもウェルビーイングの道はあるんです」
今は元気に、楽しく生活している筆者ですが、やはり未来に不安はあります。ただ、先生の「どんな状況になってもウェルビーイングの道はある」という言葉で、心が少し軽くなったように感じました。推し活をしていない人も、結果にとらわれてしまう人も。先生のこの言葉をお守りに、新たな一歩を踏み出してみませんか?
推しのライブに参戦するため、さらに筋トレをがんばれるようになった、ちー(本誌57号「私の運動時間」その5)。娘と一緒に推し活を楽しむようになったり、友だちが増えたりと、縁が広がり続けています。
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「どんな状況でもウェルビーイングの道はある」。この言葉をお守りにする。