耳は音を聞くことが大きな仕事。さらに、もうひとつ、動きを察知するという仕事も担っています。その仕事を担当しているひとつが、耳の中にある【耳石】という、小さな石。目には見えないほど小さな石ですが、地球上で生活する上で欠かせないもの。さらに、多くの人が悩まされるある不調や老化にも関係することがわかっています。耳にある、小さな石のこと。その存在を考えることが健康作りにもつながります。
読了時間:15分
バランス感覚の要。三半規管と耳石
乗り物酔いは、三半規管の鋭さが理由
小学生のとき、自動車に乗ると、ひどい“乗り物酔い”を起こしていた筆者。あまりにつらいので、乗り物酔いを防ぐにはどうすればいいか、周囲の大人に聞くと「【三半規管】が弱いんだね」とかえってくることがたびたびありました。乗り物酔いに関係している、耳の中にある三半規管。その名前は、あなたも知っているかもしれませんね。でも……、三半規管とは何なのでしょう。なぜ、乗り物酔いと関係しているのでしょうか? 奈良県立医科大学の耳鼻咽喉科・頭頸部外科学の北原 糺先生に尋ねると、耳の中は、思っている以上に不思議な世界が広がっていることがわかりました。
「 耳は音を聞くだけでなく、揺れなどの動きを探知する働きがあります。その働きを担っているひとつが、耳の奥、【内耳】と呼ばれるところにある、三半規管 です。3つの半規管があるのでそう呼ばれていて、この3つがあるから3次元空間すべての回転を察知することができるのです(下の図を参照)。【前半規管】は見上げる、うつむくなどの回転、【後半規管】は首をかしげるなどの回転、【外側半規管】は振り向くなどの回転。 3つの半規管はリンパ液という液体で満たされていて、その液体の動きによって、どんな風に回転しているのかを察知している わけです」
乗り物酔いは、三半規管内のリンパ液が乗り物の振動によって、常に揺さぶられることで起こります。
「 『三半規管が弱い』のではなく、本当は『三半規管が鋭い』と言うほうが正しい でしょう。いわば感じ過ぎてしまうのです」
地球で生きるために必要な【耳石】
耳の中には、回転を察知する三半規管に加えて、傾きを察知しているものがあります。
「それは【耳石】というものです。三半規管と、音を受け取る【蝸牛】の間にある、袋のようなものの中に入っています(下の図を参照)。 袋の中には皿のようなものがあり、その上にひと粒5マイクロメートル(0.005ミリ)という、目には見えない小さな耳石が約10万個乗っていて、落ちないようにゼラチンで覆われています。三半規管が回転を察知するのに対して、耳石は傾きを察知します。皿は水平と垂直の向きがあり、引力に引っ張られることで傾きを察知しているのです。耳石は、引力がある地球で生きるために必要なものです」
三半規管と耳石が左右の耳にそれぞれあることで、身体がどのように動いているかがわかるようになっています。つまり、 このふたつがあるから、私たちは身体のバランスをとることができている のです。どちらも大切なものですが、今回お伝えしたいのは、その存在があまり知られていない、耳石のこと。耳の中にあるこの小さな石は、実は健康と切り離せないものだからです。
身体のバランスをとる三半規管と耳石
垂直と水平の皿、それぞれに乗った耳石が引力によって動き、その傾きで、垂直に立っているか、斜めに立っているか、逆立ちしているのかなどを察知しています
剥がれ落ちる耳石がめまいの原因に!
リンパ液の中で耳石が揺れ動く!
健康と切り離すことのできない耳石。私たちにとって身近な、ある症状に関係しています。 それは、めまいです。
「ひと口にめまいと言っても、さまざまな種類のものがあります。脳に原因がある深刻なものもありますが、多くは耳に原因があるもの。よく知られているメニエール病もそうです。そして、 その耳に原因があるめまいで最も多いのが、【良性発作性頭位めまい症】。 これは耳石が原因です。めまい専門外来の統計では、すべての年代層で40~50%、60歳以上では67%が良性発作性頭位めまい症なのです」
症状は、頭を動かしたときにぐるぐると回ったように感じたり、ふわふわと揺れるように感じる 、というもの。
「 何らかのきっかけで耳石が剥がれ、三半規管に入り込むことで起こります。 先ほどお話したたように、三半規管にはリンパ液という液体があります。頭を動かして耳石が動くと、液体が波打ち、脳に身体が動いたという情報が伝達されます。それによって、実際には動いていなくても、身体が動いていると判断してしまうのです」
40代以降、特に女性に起こりやすい。
なぜ、耳石が三半規管に入り込んでしまうのか。実は、意外にもシンプルな理由でした。
「 あおむけに寝るから、です。耳石の入った袋は三半規管の隣にあり、あおむけで耳石が落ちやすい向きになります。 特に入りやすいのは、袋の真下になる後半規管と、外側半規管。後半規管に入った場合は、首を左右にかしげるなどしたときに、外側半規管に入ったときは、振り向くなどしたときに耳石が動いてめまいが起きます。誰かに呼ばれて振り向く、というのはよくある行動ですから、その分めまいが起こりやすくなります。また、入り込む耳石の量によっても症状の強度が違い、多く入れば、ぐるぐるする、少しならふわふわする程度だと言えます」
あおむけになると耳石が落ちやすい位置に
耳石の剝がれは、特に40代以降に多くなります。
「耳石は新しいものができて、古いものは吸収され、体外に排出されるということを3〜4週間で繰り返しています。剥がれやすくなる理由は、さまざまですが、 ひとつにはカルシウム代謝の低下があります。耳石は骨と同様にカルシウムでできています。 年齢を重ねると、カルシウム代謝が低下しますから、骨と同じように耳石ももろくなってしまうのです。 耳石がもろくなることは、“耳の骨粗しょう症” とも言われています」
耳石が原因のめまいは、特に女性が多く見られます。 それには女性ホルモン【エストロゲン】が関係しています。エストロゲンにはカルシウムが溶けだすのを抑制する働きがありますから、分泌が減少する更年期や閉経後、妊娠中や出産後は耳石が剥がれやすくなります。
「ただ、 耳石が三半規管に落ちても、リンパ液の中でだいたい3~4週間で溶けてなくなります。 ですから、多くの場合、それに合わせてめまいも収まります。耳石が原因のこのめまいは、それほど怖がる必要はないのです」
使わないと早く老ける!?耳石と老化の関係
宇宙空間で進む老化は、動かない耳石が原因!?
「私は、めまいを感じたことないなぁ」と、思ったあなた。そんなあなたにも、知ってもらいたいことがあります。 実は耳石は、身体の衰えにも関係している のです。
そのメカニズムを発見したのは、アメリカの宇宙開発機関、NASA。NASAにとって、宇宙空間で老化が急速に進むことが長年の課題でした。地球に帰還した宇宙飛行士が、周りの人に支えられながら移動する映像を見たことがあるかもしれませんね。これは、重力のない宇宙では身体に負荷がかからないため、筋肉や骨が衰えてしまうことが理由です。宇宙空間での生活で、筋力は半年で10~20%減少、大腿骨(太ももの骨)は、1か月で1.5%も骨密度が低下してしまいます。
NASAがその問題に取り組み、たどり着いたのが耳石です。お伝えしたように、耳石は引力によって傾きを察知するもの。 無重力の宇宙空間では、耳石が動くことはほぼありません。これが急速な老化につながると発見 したのです。
「 私たちが安定して立ったり歩いたり、動くときには、さまざまな感覚器からの情報が脳に送られています。 その情報をもとに脳が細かく調整し、筋肉に動けと指令を出しています。情報を伝えるさまざまな感覚器のひとつに、耳石があります。例えば耳石が『今、傾いている』という情報を脳に送ると、転倒しないようにするための処理が行われて、筋肉に『バランスをとるように動け』と指令を出しているわけです。 無重力の宇宙空間では、耳石からの情報がなくなりますから、筋肉への指令もなくなります。それが筋肉を使わなくなることにつながる のでしょう」
耳石が動くことで筋肉も動く!
前号の特集「“できなくなった”を減らすには」でもお伝えしたように、身体は目や耳、皮膚など感覚器からの情報を得て、脳が処理し、筋肉に動けという指令を出しています。耳の中にある耳石も感覚器のひとつ。身体が傾くと耳石が動いてそれを察知し、バランスをとるよう脳が筋肉に指令を出しています。耳石を動かさなければ、それだけ筋肉を使う機会が減ってしまうということ。身体の衰えは耳石にも原因がありそうです。
じっとしていることは宇宙空間と同じ状態に!?
耳石が動かない状態は、筋肉を動かす指令がなくなることに加え、耳石そのものの量も減る と先生。
「耳石は、引力がある地球だから必要なもの。無重力空間では必要がなくなります。身体は使われなくなると衰えます。 耳石もやはり、使われなくなると質も悪くなりますし、量も減少します 」
無重力状態で生活することはないし……と思われるかもしれませんね。でも、重力がある地球上でも、じっとしていると耳石も動きません。 座っている状態が長いと、老化が進んでいるかもしれませんよ……!?
剥がさない、動かす、落とさない。「良性発作性頭位めまい症」の防ぎ方
耳石を剥がさなければめまいは防げる!
これからの健康作りに、ぜひ加えてほしい耳石のこと。めまいを防ぐため、そして老化のスピードをゆるめるためにできることは、いろいろあります。
「めまいの多くは、耳石が剥がれ、それが三半規管に落ち、頭を動かすことで起きます。仕組みはとてもシンプル。私は、耳石が剥がれなければこの病気はなくなるとも思っています。耳石の剥がれを防ぐ確実な方法はまだ見つかっていませんが、今できることとしては、 耳石の材料になるカルシウムを摂ることが挙げられます。 高齢者や、更年期や妊娠中、出産後などでエストロゲンが減少しやすくなっている女性は、特にカルシウムを摂るようにしましょう。それから、 水分をしっかり摂ることも重要です。 耳石がある内耳は、毛細血管が多くある場所。血流障害が起こると栄養が行きわたらなくなります。耳の中の血流をよくするためにも、水分はきちんと摂りましょう」
そして、 耳石を動かすこと。刺激を与えることで耳石の減少を防ぐことができます。これには、老化のスピードを緩められる可能性もあります。
「耳石は使わなければ質・量ともに悪くなります。身体を傾けて、耳石に“感じさせる”こと。やはり、運動することが耳石への刺激になります。 強度の高い運動である必要はありません。ヨガなどゆっくりした運動で耳石を動かすようにしましょう 」
すでにめまいに悩まされている場合は、耳石を落とさないことが対策になります。
「耳石が原因のめまいは3~4週間程度で自然に治るものですが、中には10年続いているという人もいます。なぜかというと、 耳石が剥がれ続けているから だと考えられます。剥がれて三半規管に落ち、溶けていくまでの間に、また次の耳石が剥がれて落ちる。これを繰り返しているのです。耳石が原因のめまいが長く続いている場合は、頭の位置を高くして眠るとよいでしょう。次に剥がれる耳石が落ちるのを防ぐことができます」
めまいを起こさないために
剥がさない ために、カルシウムと水分を摂る
カルシウムは、耳石の材料に。小松菜、干しエビ、ししゃも、いわしの丸干し、乳製品などカルシウムを多く含む食品を摂るようにしましょう。水分も忘れずに!
耳石の維持のために、 動かす
使わなければ耳石の質・量が落ちてしまいますから、運動をして耳石を動かしましょう。激しい運動でなくてもOK。運動が難しい場合は、図のように頭を傾ける動作をとり入れて。
知っておくことが、大きな備えに
めまいが起こったら、 病院で検査を受けることも大切 です。
「 脳に原因があるめまいの場合もありますから、まずは検査を。 ただ、検査ではそのめまいが耳石によるものという診断が難しいのも事実です。耳石は小さ過ぎてMRIやCTでは見つからないためです。だからこそ、 めまいがどんなときに起こるかを把握しておくこと です。例えば朝起き上がったときや、美容院で髪を洗ってもらったときなど、動いたときにめまいが起こり、じっとしていると治まるのなら、耳石が原因の可能性は高いと言えます。 耳石によるめまいを治す薬はありません。ただ、剥がさなければ、落とさなければ、めまいが起きることはないのです 」
耳石を知ることは、めまいに対処するための大きな備え。いつまでも毎日をすこやかに過ごすために、耳の中にある小さな石のことも忘れないでください。
めまいが起こってしまったら
耳石を 落とさない よう頭を高くして寝る
めまいが続く場合は、耳石が剥がれ続けている可能性も。頭を高くして寝ると、次に剥がれた耳石が、三半規管に落ちにくくなります。枕など寝具で、頭が45度前後の高さになるように調節しましょう。少し厳しい角度なので、少しずつ上げて身体を慣れさせるとよいでしょう。
運動は控える!
三半規管に入った耳石が動くことでめまいが起こるので、めまいを感じている間は運動は控えましょう。運動は、めまいが感じられなくなってから始めましょう。

















